Wings
66-0206
↑ 1978年3月嘉手納基地R/W05に着陸する63d MAWのC-141A/66-0185。生産番号でこの機体の次に相当するC-141A/66-0186は、YC-141BとしてB型の第一号となった機体になる。
↑ 1976年嘉手納基地に着陸する63d MAWのC-141A/66-0201。B型、C型に改造後カルフォルニア州のマーチ空軍基地で予備役部隊452nd AMWを最後に引退している。
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66-7952
↑ 1978年嘉手納基地R/W23に着陸する63d MAWのC-141A/66-7952。B-C型と改造され、66-0201と同様カルフォルニア州のマーチ空軍基地で予備役部隊452nd AMWを最後に引退している。
↑ 1977年嘉手納基地に着陸する62d MAWのC-141A/66-0206。
66-0201
Page-5
1976年から1980年までの3年間に横田基地、嘉手納基地または一部海外で、私が撮影したC-141Aは60機程度あるが、第60,第62第63軍事輸送航空団のもののみで、残念ながらそれ以外の表記のものは1機も撮影していない。第60軍事輸送航空団(60th MAW)は、トラビス空軍基地、第62軍事輸送航空団(62d MAW)は、マッコード空軍基地、そして第63軍事輸送航空団(63d MAW)はノートン空軍基地で、日本に飛来していたのは、この3つの輸送航空団基地にC-141Aはほぼ集約されていたわけである。当初、C-141Aは7個航空団に配備されたものの、C-5A等の開発でドーバー基地の436th MAWは1973年にC-5Aに転換、チャールストン基地の437th MAWの一部も1970年からC-5Aに転換するなど、徐々に大型機に更新が進んだためでもある。尚 マクガイア―基地の438th MAWは1994年までC-141を使っていたはずであるが、撮影のチャンスはなかった。
↑1976年横田基地に着陸する63d MAWのC-141A/66-0182。この機体はロールアウト後ずっとカルフォルニア州のノートン空軍基地63d MAWで使われ、ノートン基地が閉鎖後ワシントン州のマッコード基地へ移動し25年間で35000時間の飛行記録を残している。その間ベトナムからの捕虜の輸送や、グレナダ・パナマ等の紛争、そして砂漠の嵐作戦など100回以上の出撃をしている。1999年用廃
66-0198
Insignia of 62d MAW
66-7958
↑ 松野氏が撮影された福岡空港に着陸する63d MAWのC-141A/66-7958。この機体は、ニクソン大統領時代に打ち上げたアポロ11号の地球帰還にあたり、回収カプセルをハワイのパールハーバーからNASA(アメリカ航空宇宙局)が近いテキサス州のエリントンまで輸送した時に使われた機体である。
66-0192
↑ 1976年横田基地に着陸する62d MAWのC-141A/66-0192。この機体は、ベトナム戦争時、若い米軍の二等兵からハイジャックされ、機体をどこかに飛ばすことを要求された。ロードマスターが撃たれ重傷を負ったが、犯人は補足されて軍警察へ引き渡されたそうである。
66-0185
↑ 横田基地に着陸する63d MAWのC-141A/66-0177ハノイタクシー"Hanoi Taxi"として有名な機体で、北ベトナムで捕虜になった兵士の最初の帰還などで活躍した機体である。B型に改修され活躍、退役後も保存され、ライトパターソンの空軍博物館に展示してある。ハノイで解放され、自由を得た捕虜達は喜びながらこの機体のパネルにハノイ・タクシーと書き込んだのが、名前の由来である。
66-0177
↑ 1978年嘉手納基地に着陸する63d MAWのC-141A/66-0172。B型改修後は、アルタス空軍基地の443d MAWの訓練部隊で使われた。
66-0172